和尚さんの日記
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称讃寺掲示板に以下の投稿がありました。
投稿日時:2004/11/25(Thu)
06:31
おなまえ:ゆかり
コメント:
和尚様は、姓名判断というものを信じますか?娘の名前をみてもらうといつもよくないといわれます。しかし、仏様を信じる事により、いろいろなことから救われると思い毎日拝んでいます。私自身なっとくがいかないときは、意見をのべるようになりました。しかし良くないとおもったときは謝る事もできるようになりました。名前で人生がかわるものでしょうか?教えてください。
平成16年11月26日(金) 住職です。
いつも ご連絡有難うございます。娘さんのお名前の事ですね。どんな名前か存じませんが 娘さんがご誕生なさった際
一生懸命考えてお名前をお決めになった事と思います。ご親族の方々の希望や期待が込められているかもしれません。
お嬢さんが もう少し大きくなって いろいろな事が理解できるようになると ご自分のお名前について その訳を ふうっと
ほのぼのと感じ 気づき取るかもしれません。
ご本人にとって お名前は ご自分で決める事ができません。例えば 子供は親を選べませんし 生まれつき決まっています。
背が高いとか低いとか容姿などもご本人の選択できるものではありません。
このように ご本人の責任でなく決まってしまっているもの 変更できないものについて 安易に批判する事は 厳に慎むべきだと
思います。そういう意味で お名前を付ける前に 参考意見としての姓名判断ならまだしも 付いてしまっているお名前について
良くないというのは 大変失礼な事で、 仏様の信仰以前の事だと思います。
浄土真宗の教章には 「深く因果の道理をわきまえて、現世祈祷やまじないを行わず、占いなどの迷信にたよらない。」とあります。
その通りだと思います。
称讃寺掲示板に以下の投稿がありました。
投稿日時:2004/11/10(Wed)
12:47
おなまえ:ゆかり
コメント:
お稚児にいってきました。天気もよく今回は、一番下の子の3回目でした。山の中のお寺でしたので、歩く事もありませんでした。そのかわりに、一人一人名前をよんでいただき御払いをしてくださいました。以前私は、いろいろな占いを信じていましたが、最近信じなくなりました。たぶん毎日仏様に拝んでいるからかもしれませんね。心が安心するのです。もうすぐ和尚様からいただいた、線香がなくなります。ラベンダ-の香のする線香をかったのですが、いまいち香につきささるものがありました。良い香のするものを探そうとおもいます。
平成16年11月10日(水) 住職です。お久しぶりです、ゆかりさん。
お稚児さん行列に参加したのですネ。お天気も良かったみたいで 暑くなく 寒くなく よかったですね。写真を撮りましたか?
もう少し大きくなったら 写真を見ながら お稚児さん行列に参加することの意味や参加させる親の思いなどを話し聞かせて
あげてください。何回か同じ写真を見ながら同じようにお話しますと、大人になっても子供のころの記憶として残るものです。
日本人は欲張りで 多神教的なところがあって 神様も 仏様も 色々な占いまでも何でも後生大事に信じてしまうところが
あるような気がします。ゆかりさんだけではないでしょう。
毎日 阿弥陀様に手を合わせていますと、阿弥陀様が何かおっしゃってくださっているような気がしてきます。それを通訳してくださって
いるのが 親鸞聖人かもしれません。親鸞聖人がなにをおっしゃったのか。ゆっくり ゆっくり ご和讃を味わってみましょう。
親鸞聖人のお気持ち お心に触れる事ができるかもしれません。
お線香は 割高かもしれませんが 小さめの箱のものをお求めになることをお奨めいたします。古くなりますと香りは悪くなります。
ご仏前で手を合わす時は ローソクのゆれる炎と線香の良い香りで 心も体もリラックスしているものです。お線香は ほのかに
良い香りだなー、と思うものを探してみましょう。
平成16年11月7日(日) 住職です。
称讃寺の報恩講の日程 ご講師が決定しました。
平成16年12月18日(土)
朝10時より読経、 11時より講演、 12時半よりオトキ、 1時半より読経、 全体としては2時で予定終了。
講師の都合により 講演は1回のみです。
講師 山折哲雄氏 (国際日本文化研究センター所長) です。
著書に 「涙と日本人」−日本経済新聞社、 「神と仏」「教えること、裏切られること」−講談社現代新書、 「愛欲の精神史」−小学館、
「近代日本人の美意識」−岩波書店、 「悪と往生」「こころの作法」−中公新書、 「宗教の力」−PHP新書、 「死の民俗学」−岩波現代文庫、
「宗教を知る 人間を知る」(共著)−講談社、 など 多数あります。
これらの本は 私が読んだものです。どれにも共感しました。感動というよりは納得しました。大きくうなずきました。そして 寺の住職としての
私は 目が覚めましたし 反省もしました。宗教の大切さ、信仰の素晴らしさを こんなに判り易く著しているのですから。
これこそ 本来は 世の僧侶の責任でもあると思いました。私は 山折先生のスタンスで「宗教のすすめ 信仰のすすめ」を
門信徒の方々をも含めて一般の方々に ご理解 共感して頂ける様 努力しようと思います。
私を 山折門下の一人に加えて頂きたく 当称讃寺にて ご講演頂ける様お願いしましたところ 日程の調整のうえ快くお引き受け頂きました。
せっかくの機会ですので 多数の方々の 参加 ご聴聞をお願いしたいものです。
当日 全体の日程の終了の後 1時間程度 先生を囲んでの茶話会を予定しておりますので、ご希望の方はご参加下さい。
平成16年11月1日(月) 住職です。
毎年秋から冬にかけて 浄土真宗のそれぞれのお寺で 報恩講法要がとりおこなわれます。
報恩講は 浄土真宗のみ教えをお示しくださった宗祖親鸞聖人のご苦労を偲んで営まれる1年で最も重要な法要です。
親鸞聖人のご恩に感謝し 聖人がお示しくださった阿弥陀様の本願を仰ぎ お念仏申す日々を送りたいものです。
お講づとめ と呼ばれておりますが ご門徒の家庭にご住職がお伺いして ご家庭においても勤まります。
いずれにしても 努めて 報恩講のご縁を持ちたいものです。
投稿日時:2004/10/25(Mon) 15:34
おなまえ:ゆかり
コメント:
こんいちは 昨日お稚児の申し込みに行く途中に大安寺というお寺の前を通りかかりました。石の門柱みたいなものにここは 聖域につき祟りがありますとかいてありました。なんだかこわくなりました。間違えて少林寺にいったときもこわかった事をおもいだしました。お寺もいろいろな雰囲気があるのですね。和尚様はお子さんになんと答えたのですか?
平成16年10月26日(火) 住職です。
お久しぶりです、ゆかりさん。メール有難うございました。当地は度重なる台風の上陸でとっても大きな被害が出ております。
復興するまでには 相当の時間とお金が掛かりそうです。新潟の地震程ではないですが なかなか大変です。
さて 本日のご質問は お寺の敷地は 聖域で 祟りがあるか、ということですね。
私は 他宗については詳しくありませんが 宗派によっては お寺の境内地を聖域としている場合もあるようです。
神聖で特別の場所です、ということでしよう。祟りがあります、というのは 何かの原因があって 災いなどの悪い結果が生ずる
という事で 何もしないのに災いがあるということではないでしよう。現代的に解釈すれば 例えば ごみを投げれたり
犬の糞を持ち帰らなかったり お賽銭を失敬する人がいたりなどに困って マナーを守ってください、悪いことはしないでください、
という意味があるのだろうと思います。
浄土真宗のお寺は 普通の家に阿弥陀様を安置して礼拝していたのが だんだん発展してきたものですので 境内地は別に
聖域ではありません。只 本堂の中の 阿弥陀様を安置している内陣は 極楽浄土をイメージしておりますので お坊さん以外の
一般の人が立ち入らないのが普通です。
いずれにしても 何もしていないのに 祟りはありませんので あまり神経質にならない方がよいと思います。
ちなみに 当称讃寺は小学校と向かい合っておりますので 子供さんがたがいろいろいたずらをしてくれますが、子供さんは
いたずらするのが普通ですので 私は大目に見ております。お稚児さんに参加なさるとのことですが 楽しんできてください。
また 感想をメールにてお知らせください。
平成16年9月5日(日) 住職です。
昨日 本日のNHKスペシャル「子供が見えない」を見ました。色々 驚きました。特に 本日の「人は死んだら また 生き返るか?」の
問いかけに クラスの3分の2以上の児童が 「生き返る」と答えていたのです。驚きでした。テレビ番組やテレビゲームの影響も
あるでしょう。家族や親戚など身近な人の「死」に立ち会ったことがない。医学が進歩していて怪我や病気は必ず治ると思い込んで
いる。などなど 色々なファクターが重なり合って 現代の子供たちの「生死観」ができているのでしょう。
ちなみに 我が家の 小4の男児に聞いてみますと 「人は 魂があるから 生き返ることも たまにはある。」という答えでした。
父親の私として またまたびっくり驚きました。
皆さん方も 子供さん お孫さんに聞いてみてください。人間の生死について 生命について 人の生・老・病・死について
お子様と話し合って見ましょう。
平成16年8月26日(木) 住職です。
家族 家庭のあり方について ですが 芸能人に限った事ではない様に思います。 夫婦が愛し合って その愛の中に子供がいる家庭。
夫婦は離婚はしていないが 愛はなくなってしまっているが 子供がいる家庭。父母は離婚しているのに 子供と同居している家庭。
一度も籍を入れないまま 同棲状態で 子供ができた家庭。単身赴任の家庭。別居中の家庭。離婚してしまった家庭。母子家庭。等等。
世の中には いろいろな家庭のスタイルがあります。ゆかりさんのおっしゃるように 夫婦が愛し合って その中に子供がいる家庭が
最も幸せで 最も普通でしょう。個人の価値観が多様化する中、パートナー 子供 親兄弟 仕事 その他の活動 等等 どこに力点を
置くかは 人それぞれでしょう。積極的ではなく 致し方なく このような家庭のスタイルをとっているという場合も多いのではないかと思います。
他人の批判をするのではなく ゆかりさんが この先 どの様な家庭を創って行きたいか ご夫婦で相談なさって その為にはどうしたらよいのか、
考えてみましょう。親鸞聖人は 人は生まれて 年を重ね 病気になったりしながら 最後は死ぬのですから、 ゴールがあるのですから
今を一生懸命生きましょう、ゴールまでに どうしておくべきか 計画を立てましょう、と おっしゃってます。親のこと 夫婦のこと 子供のこと
孫のこと 仕事のこと 健康のこと 財産のこと 地域社会 親戚関係のこと 等 じっくり 考えてみましょう。
称讃寺掲示板に以下の投稿がありました。
投稿日時:2004/08/24(Tue)
07:18
おなまえ:ゆかり
コメント:
本当に大きな災害でした。1日もはやく元の生活が出きる事をお祈り致します。芸能人で、離婚はしているのに、同居している夫婦がいますが どう思いますか?あまりにも身勝っ手な大人だとおもいます。子供のためというならば、父母は、愛しあって始めて子供のためだと思います。子供のためなら別居すべきだとおもいますが・・・このことが新しいスタイルともてはやされている事が分かりません。
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平成16年8月20日(金) 住職です。
いつも ご連絡有難うございます。台風15号の大雨ご心配いただきまして有難うございます。14号は徳島県 今回の15号は 香川県の西部と
愛媛県の東部で 大きな被害が出ました。私のお寺は中部にありますので 大雨は降りましたが 被害はありませんでした。集中豪雨は
ほんの5〜10キロの距離で被害があったりなかったりするらしいです。只 雷のせいか 停電のせいか 私のパソコンのハードディスクの
中身がすべて壊れてしまいましたので パソコンがまったく使えなくなってしまいました。 今 一生懸命修復をしております。
そのせいで ご返事が遅くなってしまいました。
ゆかりさんが お参りする時 いつも家族の健康を感謝しているとの事、とってもよい事です。阿弥陀様にご恩報謝のお念仏こそが真宗の
お念仏なのです。子供さん方は 真っ白です。真っ白な心での お念仏 これもとってもかわいくて素晴らしいと思います。
南無阿弥陀仏のお念仏に こうでなくてはならないという 難しい規則はありません。 心からの自然なお念仏でよいのです。
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称讃寺掲示板に以下の投稿がありました。
投稿日時:2004/08/19(Thu)
おなまえ:ゆかり
コメント:
ニュ−スを見ていたら和尚様のほうが雨で大変な事になっている事をしりました。和尚様はだいじょうぶですか?とても心配です。
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称讃寺掲示板に以下の投稿がありました。
投稿日時:2004/08/16(Mon)
11:31
おなまえ:ゆかり
コメント:
私はいつも御参りをするとき、必ず家族の健康を感謝しておまいりします。しかし子供たちはただ南無阿弥陀仏ととなえるだけです。その姿をみたとき、子供のまっしろな心にくらべれば、わたしの心は欲のかたまりだとおもいました。
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称讃寺掲示板に以下の投稿がありました。
投稿日時:2004/07/28(Wed)
08:45
おなまえ:ゆかり
コメント:
おはようございます。子供たちもお経をよんでいるのですが、最近2年生の息子がお経をよみはじめるととても眠くなるらしくフワフワしています。私もすこし眠くなります。どうしてでしょうか。
平成16年7月29日(木) 住職です。
メール 有難うございます。
お経を読み始めると 小2の息子さんも お母さんのゆかりさんも 眠くなるとのことですね。これは 実は大変素晴らしいことなのです。
人間の精神状態は 恐怖があったり 緊張していたり 興奮していると 目は パッチリで頭の中はとてもはっきりしていますが、
逆に ゆったり 安心して 穏やかで 落ち着いている時は なんだか少し眠いような気分になるものです。丁度 母親に抱かれている
赤ちゃんが 安心しきって ウトウトしているのと同じでしょうか。
ゆかりさんと息子さんも 阿弥陀様の前でお経を読み始めますと 阿弥陀様のお手の中で 心が穏やかになって 安心しきって
お母さんに抱っこされた赤ちゃんと同じ様な精神状態になっているのかもしれません。阿弥陀様にご自身をお任せしているのですから
大変素晴らしいことなのです。どうぞ 眠ってしまわなくって ゆったりした気分で 毎日 お経を読んで下さい。お願い致します。
称讃寺掲示板に以下の投稿がありました。
投稿日時:2004/07/15(Thu)
07:56
おなまえ:ゆかり
コメント:
先日はありがとうございました。すこしづつですが,お経を詠んでいます。家族でお仏飯を毎日いただいています。家の中に中心があるということはいいことですね。 はじめて南無阿弥陀仏のところを和尚様が詠んでいるのをきいたときおかしくておかしくてしかたがなかったことをおもいだします。
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平成16年7月15日(木) 住職です。
ゆかりさん お久しぶりです。メール 有難うございました。少しずつ お経を読んでいる様子 大変嬉しく思います。
「家の中に中心がある」とお書きですが その通りなのです。阿弥陀様のお仏壇がおうちの中にあるということは ゆかりさんの言う
中心 すなわち 心のよりどころがあると言うことなのです。ゆかりさんは ほんの1〜2ヶ月で大変素晴らしいことに気が付かれました。
お経 上手に読めなくってもよろしいです。お釈迦様 阿弥陀様 親鸞聖人 の お心を頂くつもりでゆっくり読んでみて下さい。
大変嬉しいメールをいただきまして 有難うございました。
----- Original Message -----To: TamadaSent: Monday, July 19, 2004 5:10 PMSubject: お問い合わせより届きました。がんばります。ありがとうございました。志摩ゆかりいつも メール有難うございます。新しいものではありませんが、個人が信仰して手を合わすのには 十分だと思います。あまり 肩に力を入れないで 三日坊主にならない様 毎日毎日少しずつでも良いですのでローソクとお線香に火を点け 頭の中を空っぽにして お経を読んでみてください。また 色々質問とか 感想とかがありましたら ご遠慮なく メールを下さい。宜しくお願い致します。 称讃寺 住職 瑞田 信弘
----- Original Message -----Sent: Friday, July 16, 2004 5:02 AMSubject: お問い合わせより残念ながら私はお経を唱えることはできません。 手を合わせるようになったのはつい最近です。いただけるのでしたらください。いつもいつもありがとうございます。ご本尊をむかえるにはどうしやらいいですか。和尚様にお願いするとしたらどういうふうにすればいいのですか。おしえてください。おねがいします。島ゆかりさん いつもメール有難うございます。ゆかりさんの熱心な質問に感心しながら いつも返事を書いています。あなたの 今の気持ちを大切にしたいですので ご本尊 三具足 おりん お経本をお贈りしようと思っております。「お問い合わせ」を使ってゆかりさんの 郵便番号 住所 氏名 電話番号をお知らせ下さい。宜しくお願い致します。 称讃寺 住職 瑞田 信弘
称讃寺掲示板に以下の投稿がありました。
投稿日時:2004/06/14(Mon)
04:55
おなまえ:ゆかり
コメント:
ありがとうございました。和尚様にいろろお聞きしていると、あんしんします。いろいろな人の意見はいろいろなものを組み合わせているので、どれが本当なのかわかりません。和尚さんからのお言葉なので信じます。浄土真宗の場合お経はなにをとなえるのですか。般若心経はどの宗派にこだわることなくとなえてもかまわないのですか。教えてください。義母は般若心経は宗派を選ばないといって となえています。
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平成16年6月14日(月) いつも投稿有難うございます。
称讃寺の住職です。浄土真宗の教章の宗風の一節に 「・・・・・・・・・・。また、深く因果の道理をわきまえて、現世祈祷やまじないを
行わず、占いなどの迷信にたよらない。」とあります。いろいろな宗教のいろいろな情報が飛び交っていますが 自信を持って
浄土真宗を信仰してください。また 迷ったり 自信がなくなったら いつでも メール下さい。
さて 本日の質問は 浄土真宗のお経について ですね。お義母さんは 般若心経を唱えているとの事ですが ゆかりさんも
般若心経は上手に唱えられるのですか。お経は 基本的には 何を読んでも間違いではありませんが 浄土真宗では
あまり般若心経は読みませんね。「正信念仏偈」「讃仏偈」「重誓偈」「仏説阿弥陀経」などや 御文章 領解文 などを
唱えます。「正信念仏偈」が一般的でしょう。およそ 20分強掛かりますが 仏前に正座して お線香とローソクに火をつけ
雑念を捨てて 一生懸命 お経を読んでみましょう。心が洗われるような気がすると思います。御恩報謝の勤行です。
毎日毎日続けてみてください。
仏壇店で 浄土真宗 日常勤行聖典 (250円+税)をお求めになると良いでしょう。字が大きくて漢字にはかなが譜ってあります。
教章 生活信条がありますし 勤行についてとか お仏壇の荘厳とか作法の解説もあります。
称讃寺ホームページの「お問い合わせ」を使って ゆかりさんの 住所 氏名 電話番号などを お知らせいただきますと
お経本 無料で郵送させていただきます。「お問い合わせ」を使ってのメールはホームページ上には記録が残りませんので
ご安心下さい。ご連絡お待ちしております。 有難うございました。
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称讃寺掲示板に以下の投稿がありました。
投稿日時:2004/06/13(Sun)
05:18
おなまえ:ゆかり
ありがとうございました。ほかの宗派のことはきにしません。私は浄土真宗を信仰しようとおもいます。またまた質問です。よく世の中には霊媒師とされるかたがいます。除霊をする訳ですが,除霊をすることによりすくわれるのですが本当にそうなのですか。ある人の実話ですが、その方はとても不幸な人でした。名前もかえ方位もとりありとあらゆることをしましたが不幸はつづきました。ある有名な住職様に現世の苦は前の世におこなってきた姿です。自己の因縁は他力ではなく,自分で償いをしなければならない。それを甘んじて耐え忍んでこそ前世の罪障消滅ができる。人間には血統というものがあるように,霊のつながりもある。その人は法華経の日蓮大上人様のおかげであることを信じまっすぐな道をしんじていきてきました。彼の家の因縁は3代にわたり信仰してきたことで,家につたわる罪業をのぞき彼の代になってあらわれたといっていたとかかれありました。その人はそのごかなりの功績をのこしました。となると,浄土真宗で言えば阿弥陀如来
さまを信じて信仰することがすくわれる道になるのですか。除霊やお払いでひとはすくわれるのですか。和尚様も霊をかんじることがあるのですか。わたしは、霊感はありません。宜しくお願いします。
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平成16年6月13日(日) ゆかりさん いつも投稿有難うございます。
またまた 称讃寺の住職です。今回のご質問は 霊とか因縁についてですね。
たまたまが重なって いろいろなことが起きる場合があるみたいです。良い出来事ばかりが重なる場合、良いことや悪いことが
重なる場合、悪い出来事ばかりが重なる場合と いろいろあるみたいです。
また おじいさんの時代に大変なことがあり お父さんの代にも一大事があり 息子さんの代にも何かあるということもよく耳にしますね。
私が知っている例は 交差点にある家に 出会い頭の交通事故の車が2台飛び込み それが原因で火事になり それで体の不自由な
お祖父さんが亡くなり 夫婦は不和になり ついには離婚しましたね。大変お気の毒です。
人生には 偶然が重なり合ってできているのかも知れません。ゆかりさんが 学校を卒業して就職した先も、いまのご主人と結婚したのも
いま このサイトでわたしとメールのやり取りをしているのも 偶然といえば偶然かもしれません。
なにか悪い出来事が重なってしまった場合、人は 因縁とか霊魂とかを 感じるのかもしれません。
交通事故を起こしたくないので 交通安全のお守りを買い求め、 もし 事故を起こしてしまったら 車のお払いをしていただく と
いうことなども 例の一つかもしれません。
霊とか因縁を感じ それが気に掛かるのでしたら 除霊なりお払いなりをしていただいて その後 気分がすっきりするのも
良いと思います。
浄土真宗本願寺派(本山 西本願寺)では 宗祖親鸞聖人のお言葉や著書の中にも また 歴代のご門主のお言葉にも 霊とか因縁の
言葉は見当たらないと思います。つまり 霊とか因縁などは意識してないということです。私も 霊とかは感じたことがありません。
ゆかりさんのおっしゃるとおり 阿弥陀如来様を信じて信仰することが 今 命がある ゆかりさんをはじめ ご家族の皆様方が
強く明るく生きる事に繋がって行くと思います。
むしろ万が一良くない事があったとしても ご家族が結束して それを跳ね返して行くような強い精神力 信念が 阿弥陀如来様を
信じることによって生まれてくるのです。
長い説明になりました。 このページをご覧になった先生方 他に良い説明があればメール下さい。 ゆかりさん 有難うございました。
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称讃寺掲示板に以下の投稿がありました。
投稿日時:2004/06/12(Sat)
12:25
ホスト名:210.251.63.218
ブラウザ:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; Windows
98)
おなまえ:ゆかり
Eメール:
タイトル:無題
URL
:http://
コメント:
水子についておしえて下さい。妊娠2週間ほどで堕胎した子供がいます。そのあと2人こどもを授かりました。世間では水子供養をしないといまいきている子供たちをうらやましがり寂しいおもいをしている といいます。それで子供になにか良くないことがあると言う人もいます。しかしわたしは自分勝手にその子はもういちど私のお腹から生まれてきたような気がして、きにしてはいません。私は3ヶ月から肉体に魂が入ると信じております。他サイトで水子供養は胎児が他の力で中絶したときにそのことを深く反省するために忘れない為にするものとかかれてありました。水子供養は必要なのでしょうか。本当に次に妊娠したときにまた私のところにきてくれたとおもいました。3人の子供は元気
にそだっております。とくに3番目の子供は守られているとかんじたことさえありました。どうかよろしく おねがいします。
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称讃寺掲示板に以下の投稿がありました。
投稿日時:2004/06/12(Sat)
16:36
おなまえ:ゆかり
タイトル:堕胎ではありません
コメント:
間違えました。私の場合堕胎ではなく流産です。言葉を間違えました。胎児を中絶したわけではありません。よろしくお願いします。
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平成16年6月12日(土) ゆかりさん 再度の投稿ありがとうございます。
称讃寺の住職です。今回のご質問は 妊娠2週間ほどで流産した いわゆる水子についてのご質問ですね。
現在3人のお子様は元気に育っていらっしゃるとのこと。大変結構で喜ばしいことです。それが一番です。
さて 水子供養についてです。
私は ゆかりさんの感じた通りで良いのではないかと思います。3番目の子供さんができた時に 流産した子がきてくれた、と
自然に思えたのですから とても素晴らしいことだと思います。3人の子供さんを ゆかりさんとご主人が相談なさって
立派な青年になるよう育ててゆくことが 親としての責任だと思います。ゆかりさんのお考えのままでよいと思います。
水子に限らず 亡くなった人に対する供養の考え方は 同じ仏教でも 宗派によって異なります。おととい申し上げましたように
私は 他宗他派について論評する立場にはありません。
ご先祖様に感謝して手を合わすことは とっても素晴らしいことです。同じように 3人の子供さんと ご主人様 ゆかりさんにも
阿弥陀如来様の48の誓願のお心が感じますように合掌することも また 素晴らしいことです。
落ち着いた お心で 流産した子供さんに思いを致して お線香をあげられるのでしたら それも良いと思います。
あまり水子供養と 形式ばってこだわらなくて良いと思います。
ご返事になりましたでしょうか。 また いつでも 掲示板に投稿下さい。
平成16年6月10日(木) 昨日の ゆかりさんから 返信のメールが届きました。
称讃寺の住職です。メール有難うございます。ゆかりさんからの8行のメールの中に沢山の質問があります。ひとつひとつお答えしますが
もし 漏れていましたら また ご質問ください。
昨日お答えしたことと 重なりますが お仏壇は入れ物ですから お仏壇に手を合わすということは ご本尊に手を合わす事です。
例えば 「南無阿弥陀仏」の「南無」は帰依する、信じる という意味ですので 「南無阿弥陀仏」は阿弥陀様という仏様に帰依します、
信じます、という意味です。つまり 阿弥陀様のお言葉に耳を傾け 日々の生活の指針とするということです。
お義母さんは 禅宗で 浄土真宗は余り好きでないようですが ゆかりさん あなた自身 あなたの家庭が どのご本尊を
お迎えするか 言い換えれば どの宗派にするかを 決める必要があります。
私は 浄土真宗本願寺派(本山 西本願寺)のお坊さんですので 他宗他派について 解説したり意見する立場にないことは
ご理解ください。只 真宗大谷派(本山 東本願寺)を含め真宗十派は 親鸞聖人を開祖とし 基本的には同じとお考えになって
差し支えないでしょう。浄土真宗は @誰でも A自力の修行はなく 他力(阿弥陀様の誓願)本願 という特徴があります。
私としては 立場上 浄土真宗本願寺派に決めていただくと とても嬉しいのですが。
次です。お位牌がなくても ご先祖様に思いを致して手を合わすことは とても素晴らしいことです。只 回りの人には
ゆかりさんの気持ちは見えませんので たまには お位牌のあるご実家のお仏壇に手を合わしてください。どうぞ
ゆかりさんの子供さんも ご一緒に行かれて その姿を見せておいてください。
お骨についてです。一般論です。お葬式後 しばらくは お骨は家に置きますが、何時まででもお仏壇にお骨は置きません。
墓に入れるか お寺に納骨するのが 普通です。墓地があるようですので お墓を建てて納骨なさったらいかがでしょうか。
もし お骨をお仏壇にも置いておきたいのなら 少し分骨したら良いと思います。お母さん 子供さんたちで ご相談して
みたらいかがでしょうか。お葬式をしたお坊さんに相談してみるのも一つの方法です。
ご本尊は本山からお迎えするのが正式ですので ゆかりさん宅のご本尊についてもご相談してみてください。
浄土真宗本願寺派になさるのでしたら 私が手続きをしますのでご連絡ください。
いつでも メール下さい。 本日は大変失礼致しました。
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称讃寺掲示板に以下の投稿がありました。
投稿日時:2004/06/09(Wed)
13:09
ホスト名:210.251.63.218
ブラウザ:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; Windows
98)
おなまえ:ゆかり
Eメール:
タイトル:仏壇について
URL
:http://
コメント:
佐々木様と質問がかさなりますがおしえてください。
私は長男と結婚し同居していました。 毎日仏壇にてをあわせていましたが、別居した為に,手をあわせるところがありません。たまに実家でおまいりをしにいきます。しかしわたし自身毎日おがみつづけていたものですからこれでいいのかとおもいます。
先祖親の方角にてをあわせるようにしていますが、やはり仏壇がないとわすれることもあります。仏壇をおいてもいいのでしょうか。おしえてください。
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平成16年6月9日(水)
ゆかりさん 称讃寺の掲示板に投稿有難うございます。
私たちはみんな 仏様の子供として生まれたのです。そして 仏様の 48の願いの光に照らされて 毎日生きているのです。
その仏様が 阿弥陀如来様です。毎日 朝夕 阿弥陀如来様に手を合わせ お念仏を申すことにより 少しでも仏様のお心を頂き 仏様の誓いを信じ 強く明るく生活し 又 正しい道を聞き分け 感謝の日々が送れるのです。ゆかりさんをはじめ ご家族の方々の 毎日の生活の物差しが仏様の誓いなのです。
お仏壇をお迎えになって 毎日 数分でも良いですので お線香 お光をあげて 心静かに手を合わしお念仏を申す習慣を身に着けましょう。
もちろん ご主人の方のご先祖様に感謝し あなたのご先祖様に思いを致す事も大変良いことです。
ご主人は ご長男だそうですので ご主人の実家のお仏壇を ゆくゆく ゆかりさんのご家族が引き続き継承するのであれば 今お仏壇を
お求めになると将来ダブります。お仏壇は高価です。中身の中心の 仏像か絵像か「南無阿弥陀仏」の名号だけと 三具足で 良いのではないかと私は思います。ご主人の実家のお寺さんにご相談なさるか 仏壇屋さんに聞いてみてください。
面倒くさければ 私がご相談に乗りますので お電話かメールを下さい。
平成16年5月28日(金)
またまた お久しぶりです。最近気になることがありましたので 少し書いてみます。テレビのニュースを観ての感想です。
少し前の イラクでの3人の日本人の人質が解放された後の会見で 開口一番 「有難うございました。おかげさまで助かりました。
ご心配をお掛け致しまして申し訳ありません。」等の言葉がありませんでした。
今回の 小泉総理の訪朝の後の 当事者の方々や 支援者の方々の会見でも 「有難うございました。」の言葉が開口一番
聞かれませんでした。
一体 如何してしまったのでしょう。色々主張したい事が沢山あっても 責任問題がどうであっても 相手が当然以下の事しか
していないと思ったとしても まずは 「ありがとうございました。」と感謝の気持ちを表すのが 当たり前でしょう。万が一 人質が
開放されなくても 北朝鮮から 誰も一緒に帰ってくることができない結果になっても それでも 当事者の方々は ご尽力頂いた
方々に対して 「有難うございました。」と お礼を言うのが当たり前だと思うのは 私だけでしょうか。
考え方に違いがあったり その場で どうしても主張したい事があるのなら 「有難う」の後 ゆっくりと述べるべきだと思います。
対立点がある事を主張する場合 相手の人を きわめて鋭い言葉で 非難 中傷したり 汚い言葉で罵倒したり また 大声で
怒鳴ったり・・・・よくしてますよネ。そのような話し方で聞く人の共感を得て 尚 ご自分の主張が広く理解されると思っているので
しようか? まったく 逆です。 その人の 礼を失した下品な話し方で 論旨を聞く前に 人間性が疑われてしまいます。
テレビでは 野党の方々が 総理を含めて内閣や与党の方々を 大声で 罵倒して 攻撃しています。地域では 例えば
PTAの父兄の方々が 学校や 校長 教職員を公然と批判しています。家庭では ご近所の悪口や 会社の上司の悪口が
公然とまかり通っているのです。
ご自分と 主義主張が違っている人たちは 敵なのでしょうか? そうではないはずです。国政でも 学校でも 地域社会でも
会社でも 家庭でも それを構成している人たちは 例え 考え方が違っていても みんな仲間のはずです。
そんな仲間に感謝して その後 穏やかに 論理的にご自分の主張をすれば みんな静かに耳を傾けるはずです。
汚い言葉を 大声で怒鳴る人は 口から出る言葉だけではなく 心の中まで 荒れて すさんでいるような気がします。
どこかの野党の元党首さん もう少し 上品な演説 できないものでしょうか?
心の中まで下品なのでしょう。もうたびたび
テレビには出ないでしょうから安心しましたが、沢山の日本人に 心の下品さが伝染したようで 残念ですし心配です。
私たち一人一人が 心の抗生物質を飲み 上品で 豊かで 優しい心を取り戻してゆきたいものです。
私たち浄土真宗では その社会を構成する人々はみんな仲間だと考えます。現代の社会は 仏教道徳が根底に流れて
いると思いますが、その流れが弱くなってきているのかもしれません。
今回は 長くなりました。 ご意見承りますので どしどし と゜うぞ。
平成16年3月15日(月)
お久しぶりです。
本の紹介をします。著者は 梅原猛 さんです。梅原さんは大正14年 仙台生まれ。京大卒 立命館大学教授
国際日本文化研究センター初代所長を経て 現在は 同センター顧問 です。
まず1冊目は 「梅原猛の授業 仏教」です。この本は タイトルのように著者が京都の洛南中学校で宗教の
授業を行ったのですが その12時限の記録です。あとがきの一部です。「近代日本の道徳の教育に
仏教の思想がまったく受け継がれていないことを感じた。新しい道徳教育を考えるには、日本人を長い間
培ってきた仏教の道徳を復活させなければならないことを 強く感じた。」帯には「この本は中・高校生、お父さん、
お母さん、熟年世代に読んで欲しいのです。」とあります。
次に2冊目です。「梅原猛の授業 道徳」です。「人間の欲望は複雑で肥大している。その複雑で肥大した欲望を
抑えなければ、社会の秩序は破壊される。自然に存在する利他の心を子や孫に、あるいは社会や国家や人類に
及ぼしていくのが 道徳ではないかと思う。」と あとがきにあります。
学校では教えてくれないこころの物差しについての本です。次世代をになう子供たちに是非とも持っていただきたい
心の物差しです。教えるのは 家庭です、社会です、現代の大人なのです。
朝日新聞社発行で 1.200円です。一般の書店で販売しております。ご意見 ご感想等ありましたら メールで
お寄せください。
11月26日 いつもの 「おだんご」さんよりメールが来ていましたが 法要 葬儀等が重なり 忙しかったので
返信のメールが今日(26日)になってしまいました。「おだんご」さんよりのメールと私の返信メールを
紹介いたします。
----- Original Message -----
From: おだんご
To: <s-tamada@star.quolia.com>
Sent: Tuesday, November 18, 2003 8:17 AM
> おはようございます。私自身、仏教が好きです。そこで色々と本をつまみ喰いのよう
> に読ませてもらいますが、浄土真宗には学ぶことが多いものです。それは私にとって
>
は単なる知識としてではなく、人間の根幹に関わる事です。
> 実は以前、浄土真宗親鸞会や一の会という団体の方から法話を聞かせてもらったこ
> とがあります。会員の方の聞く熱心な姿勢には驚きました。でも、浄土真宗本願寺派
> とは対立していますね。本願寺派の僧侶の方に「教えていることは同じでしょうか、
> 違いがあるのでしょうか」と聞いても「別団体だから」と仰るだけで、それ以上は答
> えてくれませんでした。勿論、本願寺派のお寺でも法話を聞かせてもらったこともあります。
>
まだまだ教えてほしいことばかりの私でございます。合掌
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11月19日書き込み
ご門徒様宅にお講づとめにお邪魔して このホームページの事をお話したらすぐにメールが来ました。ご紹介いたします。
※着信メール
院主様が帰られてからすぐホームページを開いてみました。寺院紹介・住職紹介・
和尚さんの日記など興味深く拝見させていただきました。
その中で院主様の御挨拶の文章が特に印象に残りました。「技術・経済の発展はわ
たしたちの生活を便利にはしたが、豊かにはしてくれなかった」全く同感です。
またわたしも70歳になった今、これからの人生をどのように送り、どんな死に方を
すればいいか本当に真面目に考えなくてはいけないなあと思いました。
これからも時々感じられたことをお聞かせ下さいませんか。楽しみにしています。
※着信メールは以上です。
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住職の独り言
「これからの人生をどのように送り、どんな死に方をすればいいか」 上のメールの一節です。
私はビックリしました。これこそが 仏教の最大のテーマなのですから・・・・・・。
「どんな死に方」とは 逝くときに もしご自身の人生を振り返ることができるとしたら どう思われるか?なのでしょうか。
その時に 悔いがなく 「いい人生だった」と思うことができれば 「いい死に方」ができるかもしれません。
仏教的に考えると 「今までの 人生を振り返り、 悔いがないように今後の人生を送る。」ことでしょうか。
浄土真宗では 他力(阿弥陀様の働きかけ)をキャッチできるアンテナを持ちましょう、と 呼びかけています。
11月18日書き込み
下の11月11日のメールの「おだんご」さんから またメールが来ました。
「おだんご」さんのメールと 私から「おだんごさん」への返信メールを公開致します。
「おだんご」さんは 高校の社会科の先生のようです。
----- Original Message -----
From: "おだんご゛
To: <s-tamada@star.quolia.com>
Sent:
Monday, November 17, 2003 10:50 AM
Subject: こんにちは。
>
お寺さまのお名前と、ご住職さまのお名前を知りました。最初は掲示板から入った
>ので、トップページに入れずに判りませんでした。
> 私は現在、高校で地歴公民科を担当しており、今年は日本史の授業をしておりま
> す。先日、県下の教科研修集会があり、「鎌倉新仏教(法然・親鸞)」と題して公開
>
授業をしました。他校では文化史を取り上げるのは珍しいようでした。
>
>
_________________________________________________________________
>
>
>
こんばんわ。いつもメールをいただき有難うございます。私も教員でしたので
>「鎌倉新仏教」の公開授業 とっても興味があります。
>
私にも経験がありますが 準備等大変だっただろうと思います。お疲れ様でした。
>
教員を経験して 今 坊主である私が 先生方にお願いしたいことがあります。お
> そらく 「おだんご」さんにはあまり興味がないかも しれませんが・・・・・。
> それは 「信仰」「信心」「信ずる」の概念を教えて欲しいのです。人は「おぎゃぁ」と >
生まれてから 最後には必ず死んで行きます。
>
「親鸞聖人」はこの人生を 船にたとえましたが、 一隻の小さな船が大海原の航
> 海をするのです。船長さんは必ず 海図をいつも見ながら 進路 速度 その他の
> 判断をします。私たち自身の人生ですから、進む方向を決断したり 判断するのは
私たち
>
自身ですが 海図の役割をするのが 「信仰する」宗教なのです。
>
歴史を学ぶということは 最終的には 歴史の訴えかけるものや 反省 教訓など
> が 次の歴史の一頁に生かされて行く事だと思います。
>
「おだんご」さんのご指摘のように「妙好人」はめっきり少なくなったような気が
> します。仏教史 真宗史の観点からの解説者 評論家は
>
沢山いますが 「信じて」いる人は明らかに減少していると思います。戦後社会全
> 体が高学歴化して 知識が豊かになり情報が豊富になる事に
>
比例して 理解している人は多くなりましたが、「信じて」いる人は減りました。
>
仏教(宗教)は哲学です。「鎌倉新仏教」は歴史の一こまではありません。浄土真
> 宗は「親鸞聖人」から七百数十年 今も 人々の心の
>
羅針盤となっているのです。理解することと「信仰」とは全然違います。浄土真宗
> に限りませんが 「信仰」の概念 素晴らしさを 若い
>
人たちに 教えてあげてください。小さい寺の なまくら坊主からのお願いです。
香川県 浄土真宗本願寺派 称讃寺 住職 瑞田 信弘
> 称讃寺掲示板に以下の投稿がありました。
>
> 投稿日時:2003/11/11(Tue) 14:06
>
> おなまえ:おだんご
>
タイトル:掲示板拝見しました。
> コメント:
>
この掲示板を拝見して、住職様のお人柄を感じることが出来ました。浄土真宗で
は、この世で救われると教えるようですが、この世で救われるということは、往生が
決まった喜びで生きられると言うことでしょうか?今でも「妙好人」はいるんですか
?浄土真宗についていろいろと学びたいです。
>
>
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>
> 「安楽浄土にいたるひと 五濁悪世にかえりては 釈迦牟尼仏のごとくにて 利益衆生はきはもなし」
> メールを頂きまして 誠に有難うございました。 親鸞聖人の浄土和讃の一首です。
> この世は 悪世です。そこに 人々は「生老病死」の四苦を持って生まれました。
> 人々の欲望や執着は拭い去ることはできません。
> 人々はどこまでいっても、悟りからほど遠い「悪人」です。
> 「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」 有名な唯円の言葉です。
> 阿弥陀仏の誓願は 人々に対する大いなる慈悲なのです。
> 人々は自己の修行や思念 つまり 自力の善によって 極楽浄土に往き生まれる
わけではありません。阿弥陀仏の働きかけ つまり
> 「他力」によるものです。あなたも含めて 人々を救おうとする阿弥陀仏の誓願
を思い起こし、阿弥陀仏の誓願を信じ、阿弥陀仏の働きかけ
> つまり 「他力」に自己を委ねることです。
> あなたの言う 「この世で救われる」とは 阿弥陀仏の慈悲(働きかけ)すなわち
> 「他力」を本気になって信じきり 自分自身が身を委ねることなのです。
>
> 「妙好人」という言葉は 自称ではなく 後から結果的に そう呼ばれたのだと
思います。現代社会でも そう呼んでもいい様な人はいるのでは
> ないかと思います。
>
> ご返事になりましたかどうか。心配です。何でもいいですから また メール下さい。
有難うございました。 合掌
>
称讃寺 住職 瑞田 信弘
>
9月15日書き込み
当称讃寺が作成しておりました 「正信念仏偈」のお経本が出来上がりました。
当称讃寺は 浄土真宗本願寺派ですので 本願寺派の 草譜 行譜の印を付けております。
譜 節はあまり気にすることはないと思います。
朝に 夕に 日常勤行として この「正信念仏偈」を声を出して読んで頂きたいものです。
そこで このお経本を無料で差し上げます。一家に3冊までにさせて頂きます。
あなたの住所 氏名 電話番号 メールアドレスと 希望冊数を FAXかメールでご連絡ください。
この 「正信念仏偈」を 私が読んだテープも作成して希望者に差し上げようと思っております。
とりあえず 棒読みでいいですので 声を出して読んでみましょう。
7月4日書き込み
当称讃寺の本山は 京都の 西本願寺 です。その西本願寺にも住職がいます。初代は
親鸞聖人で 第8代は 蓮如上人で 現在は第24代で 大谷光真と言います。浄土真宗本願寺派と言う宗門の長ですので
門主 とも言います。その大谷光真門主が 一般の方々向けに 本を出版しました。
「人は何故生きるのでしょう」
「人は誰でも、自分に都合よく生きようとするものです」
「洗いざらい思い返せば、そんなに潔白な人はいないはずです」
「欲望はあって当然、押さえつける必要はありません」
「鎧を脱いで接したら、世の中はずっと生きやすい」 等等・・・・・・
あわただしくすぎてゆく日々、 あるいは、何か物足りなく過ぎてゆく日々を振り返り、生きる意味や喜びを見いだすきっかけになると思います。
本のタイトルは「朝には紅顔ありて」 ・・・・・ 有名な白骨の御文章の一節です。角川書店
1.200円です。一般書店で手に入りますが 品薄気味だとも聞いています。是非とも
読んでみてください。
ありがたいことです。 門信徒の皆様方の浄財で本堂 納骨堂 会館 が 新築できまして 今 庭の整備を行うところです。
以前の庭には 樹木が沢山ありました。 その樹木は 今は 近所の御門徒様の休耕田に移植されております。
今 庭を整備するにあたり @以前より庭が狭くなった A庭師さんの設計では あまり木を多く植えない
等の理由で 庭木が余ります。
貰っていただける方に差し上げようと思います。 ・いぬまき ・ばべがし ・きんもくせい
・もちのき ・もつこく ・くすのき ・そてつ ・つつじ 等があります。
興味のある方は 連絡ください。
8月17日書き込み
お盆が終わりました。忙しい期間が終わり お坊さんは私を含めてほっと一息ついているところでしょう。今年のお盆は例年より涼しかったので お坊さんは大変楽に仕事ができました。
皆さん方はお盆の期間に里帰りして墓参りをしたことと思います。若いお孫さんたちは お父さん お母さんの実家の風を感じ 心いっぱい吸い込み、墓前ではご先祖様 最近亡くなった曾おじいさん 曾おばあさんに 思いを致したことでしょう。
故郷のこと ご先祖様のこと 亡くなった方々のこと どうぞ 若い方々にいっぱいいっぱい話してあげてください。お人柄 性格 得意なこと 不得意なこと 人生においてどんなことにご苦労なさったのか 何をしたかったのか 人生の目標は何だったのか 達成できたのか できなかったのか 欠点は何だったのか どんな病気になって どんな風に病気と闘って 何歳で逝ってしまったのか その時に どんな気持ちになったのか。
ひとつの家族が四世帯 三世帯同居というのが少なくなりました。子供たちにとっては おじいさん おばあさんの生きた時代 生活 こだわりなどを感じなくなってしまっています。身内の人の「死」に立ち会うことがなくなりました。病院で最後を迎えることも原因でしょう。親族の人たちが心を取り乱し涙を流す瞬間は大人の人だけで 子供たちが 御葬家に着いた時は 皆整然と黙々と葬式の準備をしているのです。自宅ではなくって 会館で葬式をすることが多くなっていることも一因かもしれません。
人の社会では 先に生きている人は 後を導き 後に生まれた人は 先を訪うのが有史以来の常ですが それが今崩れようとしています。大変なことです。
子供たちの凶悪事件は当然の結果かも知れません。子供たちにとって「死」と直面するのは テレビドラマと テレビゲームでしょう。
生命(いのち)の教育が叫ばれています。今までは教えなくても自然に学んできたことを教えなくてはならないのです。大変な時代です。学校や先生にお任せしてもおそらく手に負えないぐらい大きなテーマです。ご自分のお子様にどう教えていくか 真剣に家庭で取り組むべきことだと思います。
浄土真宗では その人の人生そのもの(臨終も含めて)から 今生きている人が何かを学ぼう、と考えます。お経を読むことはお坊さんの仕事だという考えが当たり前になりつつある今、お坊さんも含めて 生命の教育を 考えたいものです。